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レトロゲームとナゾ機械から考えた「ゲームデザインの本質」

wise9.jp 編集部のリョウヘイです。サンフランシスコのレトロゲーム博物館「MUSEÉ MÉCANIQUE(ミューシー・メカニクー/機械芸術博物館)」に置いてあったゲームや、何だか分からないナゾの機械などを紹介しながら、ちょっとだけ「ゲームデザインの本質」について考えてみるコラムをお届けします。

GDC(Game Developers Conference) に参加するため、私はサンフランシスコに来ています、初めてのアメリカということもあり、shi3z編集チョに地元の名所をいろいろ案内してもらったのですが、その中でも印象に残ったのがこの博物館。

フィッシャーマンズワーフ という、有名な観光名所らしいのですが、私は知らなくて恥をかいてしまいました。

うまいカニで有名な港町なのだそうです。

この有名な観光地になぜかあるこの「MUSEÉ MÉCANIQUE(ミュージーメカニクー)」は、機械を使った古い時代のエンターテインメントが網羅されている博物館です。

私はここにコンピュータという最新の機械を使ったゲームやエンターテインメントといったものを考える上でその本質が集約されているような錯覚に囚われました。

(続きは以下のリンクから)

ここにあるのは、単に木とゼンマイで作られたメチャメチャ古いゲーム、というより、「これゲームなんだ!?」と驚くような「ナゾ機械」が所狭しと展示されてます。ほとんどは25セント硬貨1枚(=約20円)で遊べるので、10ドルくらい両替しただけでほぼ無限に楽しむことができます。

パックマンなどのいわゆるコンピュータを使った「レトロゲーム」なども展示されているのですが、昔の人にとっていわゆる「コンピュータゲーム」と「機械によるエンターテインメント」というのは渾然一体となったものだったようで、中にはこんな「ナゾ機械」も混じっています。

25セントを入れると、中の人形が回る」という、ただそれだけの機械です。現代の感覚からすると「これでイイのかよ!!」って思わずツッコミたくなるような代物ですが、確かにこれは、電気で動く機械が珍しい時代にはすごいエンターテインメント。大道芸や見せ物を見るような感覚で、人々はこれで遊んでいたのかもしれません。

この博物館、ブログではお見せしきれないほど面白いゲーム(&ナゾ機械)だらけだったのですが、その中でも「ゲームデザインってこういうことか!」と気付かされたものがあったので、いくつかを抜き出して詳しく紹介してみます。

この記事でお見せしきれなかったものは、別の記事でたっぷり紹介しますので、お楽しみに。

さてさて、そのうちのゲームのひとつがこれ、ヘリコプターゲーム。

中央からのびる軸にヘリコプターがついていて、これを操縦するゲームなんですが、操縦桿を動かしてみるとわかるのですが、このヘリコプター、実際にモーターでちゃんと飛ぶんですよね。

さらに実際のヘリコプターとおなじように、操縦桿を操作することでローターの出力が変わったり前後に動いたりします。で、ランプがついてるチェックポイントの柱をヘリコプターが通過すると、得点が入る仕組み。

でも、「車は急に止まれない」のと同じように、ヘリコプターも急には止まれません。急旋回している停止しようと思って逆の方向にローターを傾けても、3秒くらいかけてゆっくり減速します。

またその停止の仕方がすごくリアルなんですよね。実際には空気抵抗やギアの抵抗があり、ぐらっ、ぐらっ、と停まります。

電子的に制御して動いているだけならすごく簡単なゲームなんですが、出力やロータ方向を変えてからのフィードバックがすごくゆっくりで、しかもムラのある動作になっているせいで、ヘリの動きにすごく制約が生まれているんです。


赤いランプが点いているチェックポイントにタッチすると10点が入り、次のランプが点く。

ヘリコプターゲームを遊んでいるプレイヤーが快感を感じるのは、もちろん「機体をうまく操縦してポイントをゲットした瞬間」です。

ここだけに着目すると、ゲームの面白さは「うまく操縦する」「得点ゲット」にあるのではないか、と考えてしまいそうになりますが、たとえば「電子版ヘリコプターゲーム」というものがあったらどうでしょう。

出力やロータ方向が正確にコントロールできたら、単なる作業ゲーになってしまいます。

むしろ、このゲームの面白さは、実際に飛行するヘリコプターの動きの特性から生まれる「不自由さ」にあるのです。

もうひとつ「すごい」ゲームを紹介します。それはこちら。

ブルドーザーを操縦して玉を、フィールドに書かれた丸の中に入れるゲーム。現代にこんなものがあったら「これゲームなの!?」と怒られそうですが、昔はこれでも十分ゲームとして成立していたのです。

遊んでみましたが、玉はブルドーザーが止まってもコロコロ転がってしまうので、スピードの出し加減が難しい。しかも既に置いた玉に車体がぶつかると転がって行ってしまうので、動かす順番を考えなければなりません。

実は、そういった物理的な制約=不自由や、フィールドのデコボコなどのムラがあるぶん、DSやiPhoneで遊ぶ「(ある意味)理想的な環境におけるゲーム」より、ある意味でははるかに難しいゲームになっているのです。

ゲームとは、そういった「制約を受けて行動すること」そのもの、と考えれば、その制約は昔はこういった物理的に実体を伴った形で存在していたものが、だんだんと電子的なかたちに移行してきただけで、本質的にはこれらの機械は今のPS3やWiiで遊んでいるゲームと変わらないものとして捉えられます。

もうすこし身近なたとえで考えてみましょう。

例えば、読者の皆さんが遊んだことがあるゲーム、「鬼ごっこ」。

2009年に秋葉原で開催されたAR鬼ごっこの様子

鬼ごっこ」では、「鬼が子供を追いかける」「子供は鬼から逃げる」という行動の形(スタイル)があります。もちろん子供を捕まえたり、鬼から逃げるのは楽しいことです。でも、ゲームの面白さの本質は「制約」であり、制約から受ける不自由。

捕まった子供が「おれそんなルール知らないし」と言って逃げ出すことは簡単なわけです。それでも、「鬼に捕まったら、この地面の丸から出てはいけない」という簡単な約束事(=制約)が、既に捕まった子供たちだけではなく、逃げている子供たちをも縛り、鬼ごっこのスリリングな雰囲気が生まれる。実は「鬼ごっこ」の面白さを保証しているのは、「捕まったらゲームから外れてしまう、丸から出られない」という制約なのではないでしょうか。
タッチされても即ゲームに復帰できる」みたいな鬼ごっこ、遊びたくないですよね?

たとえば鬼ごっこが電子ゲームに移植されたとしても、「逃げ切れずタッチされた悔しさ」「捕まったあとの不自由さ」の感情を喚起できないゲームは単なるクソゲーです(実際に「鬼ごっこ」はもちろん、本質的に鬼ごっこと変わらないゲームはいくらでもありますが)。

こうして見てみると、「ゲームデザイン」とは「制約のデザイン、不自由のデザイン」である、とも考えられるのではないでしょうか。

そういえばこの前、shi3z編集長にいきなり「土曜日空いてる?」と声をかけていただいて、栃木県の山中に連れ去られ「サバイバルゲーム」に参加したことがありました。

頼りなさげに銃を構えるリョウヘイ編集員

2チームに別れ、敵陣のフラッグを取るためエアガンを撃ちまくるというある意味でかなり野蛮なゲームです。もちろん周りにいるのは熟達の猛者だらけだったので、僕たち初心者は普通に行動してたらすぐに撃たれて死んでしまうのですが、その中でおもしろいことに気がついたのです。

このゲーム、プレイヤーが撃たれたかどうかは、自己申告で判定するというルールになっています。直撃してもBB弾なのであまり痛くないし、撃っている側は遠くにいるので、当たったかどうかは気付かないことがほとんど。

つまりサバイバルゲームでは本質的に「ズルっこ」がし放題の状況。

ぼくたちプレイヤーが敵に撃たれたとき、「ヒット!」と大声を上げて、参加したばかりのゲームを離脱するのは「自分に自分で制約をかけるため」といっても過言ではありません。

サバイバルゲームの中で僕たちは、「撃たれたら負け」というルールを課すことで「自分で自分を面白くしてる」んです。

じっさい「弾は当たったけど、跳弾がカスったくらいだから良いかな~」「相手が気付いていないし良いだろう」とゲームを続けていって、敵のフラッグを取ったとしても、喜びよりもなんだか虚しい気持ちになる…のは、カンタンに想像できますよね。

以上、「鬼ごっこ」と「サバイバルゲーム」という、ある意味両極端なゲームを例に挙げて考えてみました。

ゲームの本質が「制約=不自由」であるとすれば、ゲームデザインとは「不自由のデザイン」であり、さらに「どうやってゲームの中の不自由をプレイヤーに自然に受け入れさせるか」ということを考えなければならないということです。

現代では「制約」や「不自由」を生み出すものはプログラムによって記述されたシステムですが、紹介したような昔のゲームにおいては、(ヘリコプターのような)物理的な制約や、(約束事のような)自ら課す制約などがその役割を担っているわけです。

ゲームデザインを「ユーザに「不自由」を楽しんでもらうために「不自由」を設計する」行為と考えれば、ゲームデザインを新しい視点から捉えられるのではないでしょうか。レトロゲームを遊びながら、ゲームの原点について考えさせられた一日でした。

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