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クリエイターのためのクリエイターでありたい — 「クリプトン」伊藤氏の想い

みんな元気かな!?

今回、wise9編集部は、初音ミクでお馴染み、北海道は札幌にある、クリプトン・フューチャー・メディア株式会社に行って来たぞ!

そして同社の代表取締役社長、伊藤博之さんに独占インタビューを敢行してきたのだ!

他のどのメディアにも載っていない、伊藤さんの知られざる素顔とは!?


——本日はインタビューに応じていただきありがとうございます。今回、伊藤さんが会社を設立するまでの経緯について伺いたいと思います。

僕が会社を起こしたのは16年前ですが、その前は北海道大学で国家公務員として働いていました。大学は事務官として採用されましたが、どういう訳か技官が就くはずの研究室に配属されたんですよ。コンピュータに出会ったのはその研究室でのことです。

——研究室の仕事はどうでしたか?

研究室はとても楽しかったですが、すごく過酷なところでした。様々な無理難題を強いられて、仕事をしながら鍛えられましたね。なにせ僕の前任者と後任者は、そんな過酷な環境にいるうちに二人とも論文を書いてドクター(博士号)を取ってしまったくらい。事務官で採用されたのに、今は二人とも大学の先生になってしまった。僕はドクターも取らずにおちこぼれているという(笑)

どういう職場だったかというとね、とにかく仕事がなく暇だった。だからすごく時間の使い方に困ってしまって。おまけに研究室には当時新しかったMS-DOSのパソコンが50台くらいあったんですが、学生も先生もあんまり使ってなかった。そうすると、パソコン勉強するしかすることないわけで、だから過酷だった。

——それは忙しすぎるのではなくて、とても楽な環境だったのでは…?

夢のような環境と見るかもしれませんが、過酷な環境でしたよ。時間が余ってコンピュータやるしかないし、時間がありすぎてゼミに出て発表していたくらいです。そうやって前任者と後任者はドクター取るまでになっっちゃった。そうやって勤務しながら、実は平行して夜間大学に通ってました。研究室の教授が「人生のプラスになるから」と言ってくれて、それじゃあ行ってみようかと。

——同じ大学に通い始めたんですか?

いや、別の大学の夜間です。昼間は大学で働いて、その後は別の大学に行って勉強する。大学を行ったりきたりして、常に大学にいるような感じでした。卒業しても大学生にいる。当時はいろいろやりましたよ、SmalltalkとかLISPとか。

——smalltalkですか。当時のオブジェクト指向の最先端じゃないですか。

所属の研究室がロボットやっていたんですね。それでロボット周りのことは結構やりましたよ。smalltalkで人工知能やったり、CADとか、制御系とか…。情報処理試験も取りました。何せやることがない過酷な環境なので、しょうがなく一ヶ月くらい勉強やったら試験に受かってしまった。そういうところだったんですね。暇なのは大事だと思います。

——時間があることが、逆に豊富な経験を生み出したということですね。

Macが自分の道を決めた

研究室で働いていた頃、Macの大学生協モデルが出たんです。HDDは20MBで大容量、メモリは1MB積んであって、当時のスペックだから今考えるとひどいんですけど、あの当時はすごいハイスペック。一生ものだと思ったくらいです。研究室のコンピュータはFM77AVっていう、お絵描きできるマシン。もう宝の山に囲まれていたようなものでした。

そうして6年ほど過ぎたら、大学事務の本部のほうから声がかかりまして、異動先の学生部でプログラムを書くことになりました。プログラムが出来る人って当時はいなかったんです。COBOLで学籍管理システムを作って、そのデータを磁気テープに保存してとか。今考えるととても貴重な経験をしたと思います。同じシステムをいま作るとエクセルのマクロで済みそうなことを、半年がかりかけて作るみたいな感じでしたから。作る側としては楽でしたけど。

-——仕事が増えた分、お給料が上がったりしなかったんですか

特になかったですね。プログラマとして職種が認められていたわけではなかったので。

もともと音楽が趣味でギター弾いたりとかしていたんですけど、それをコンピュータでやってみたくなった。当時ってちょうど小室哲哉とか朝倉大介が出てきた頃です。コンピュータで音楽やるためにMacを買いました。SE/30です。

——それが音楽の仕事のきっかけですか?

いや、結局コンピュータで音楽はやらなかったんです。Macで音楽を作ったこともない。打ち込みにはMC500(Roland社製のシーケンサ)があったし、せっかく買ったMacは音楽じゃなくてデザインの方に興味が移ってしまった。

——当時というとPhotoshopは衝撃でしたね。

当時キャンペーンか何かで、Photoshop1.0がバンドルされているスキャナーがあったんです。速攻でそれを買いました。

——ずいぶんと高いものを。

Macでデザインすることに興味が移ってしまったんです。でもSE/30って白黒しか映らないですよね。だからVimageのビデオカードをNuBusに挿して、カラーで使ってました。SE/30なのにビデオカード付けて、スキャナつけて、外付けモニタ繋いで…ってやって。

——そうすると、もう原型をとどめてないですね。

全部で100万円くらいのシステムになった。貯金がいっぱいあった訳じゃないけど、持ってるお金を全部投入して作っちゃった。音楽やってる人ってそういうところあるんです。これはと思ったら、男の120回払いみたいなやつで買っちゃう。金利とか倍くらいになっちゃうやつ。当時のMac使いは皆ローンっていう画期的なサービスを使っていたんです。

——120回って10年じゃないですか!(笑)

雑誌広告を出したら、世界中から連絡が来た

——Macはずっとデザインに使っていたんですか?

はい。自分のCDのアートワーク作ったり、広告を作ったりしていました。デザインってデザイン事務所に頼まないとやってくれなかったけど、Macなら自分で作れます。そういうところがすごいと思いました。印刷するときは、ソフトウェアトゥーの札幌出張所でフィルム出力をやっていたので利用させてもらいました。DTPデータをフィルムに出力してもらって、そのフィルムを今度は印刷屋さんに持ち込むんです。トゥーさんで出力してもらったキワまでくっきりなフィルムを印刷屋さんに見せると驚かれるんです。「兄ちゃん、コレどうやって作ったの!?」って。

——ではMacでずっとデザインしていたと。

いえ、音楽やっていたので、僕のベースは音楽です。でも当時の心はデザインにあったというか。僕はもともと自分で音楽作っていて、打ち込みで作った曲でライブやったりしてた。それから、音楽に使う音も自分で作ってた。今で言ったらP(プロデューサー)ですね。

——既に当時からPだったんですね。

そうやって作った音を売り込もうと思って、アメリカの雑誌に広告を出しました。雑誌の後ろのほうに3行広告スペースとかありますね?そのスペースは誰でも安価に広告出稿できるので出してみました。すると世界のあちこちから連絡がきたんです。それが結構面白かった。売り上げは、機材の元が取れる程度でしたが。

広告を出したら世界中から注文が来て、音を送れって連絡が来る。一方、注文の相手も音を作っていたりして、交流してるうちに相手の音も売ってくれないかって話になる。そういう関係がどんどん増えてきた。そしてこれはちゃんと会社としてやらねば、ということで作ったのが今の会社です。

——なるほど。会社設立後はどういう事業が中心でしたか。

設立してからは音の販売を主なビジネスとしてやっていました。音源が録音されたサンプリングCDの提供などですね。そうやって音の販売をながらしばらくやっていまして、プログラミングについての事業は何もやっていなかったんです。ただプログラムをかじった端くれとして、インターネットには興味がありました。当時ASPとか、サーバーサイドの技術に触れていたときに、ISDNを会社に引いたりしてました。ocnのサービスが発表されたときはすぐにNTTに電話して、真っ先に引いてもらいました。北海道で一番最初でした。速度はせいぜい128kbpsだったけど、当時はすごく速く感じましたね。そういう環境を整えて、自分でサーバーとかデータベースの勉強とかやっていました。

——そちらの方向には事業を伸ばさなかったんですか?

自分で色々やっているうちに、自分でやるのが面倒になってきてしまったんです。それで誰かにやってもらおうと思ったんですが、うちは音の会社なのでプログラマーがいない。かといって作業を外注してしまうとノウハウが貯まらないので、自分達でやるために、稚内北星学園大学のサマースクールに通いました。

——LOGINに広告出していた大学ですね。

そうです。稚内北星学園大学は日本最北端の大学で、UNIX教育とか早い頃からやっていたんですね。そこがサマースクールとして、夏休みの一週間で技術がメキメキつくという過酷な講座をやっているということを聞いたので、早速社員を連れて行ってきました。まあ心身ともにボロボロになるんですが。まず教本がすごくて、ソースコードがびっしりと製本されて渡される。それを読みながら実際に応用システムを作って行くんです。これがまったく分からなくて。内容はJ2EEとか、JINIとか当時の流行をいち早く採り入れたものでした。

そういう講座にボロボロになりながら参加していたら、次第に社員もコードが書けるようになってきました。そうやって勉強した人が、自社の携帯着うたサイトを作ったり、その他の自社サービス作ったりしています。僕自身はコード書く仕事はしないけど仕様の確認などチェックに携わっています。

——そんな経緯があったんですね。伊藤社長がプログラミングの流れを汲む人だとは知りませんでした。


ボーカロイドはどうやって売ったらいいのか分からなかった

——では初音ミクの話に移っていきたいと思います。ボーカロイドはどのような意図で作られたのですか?

クリプトン社では色々な音源を扱っていますが、昔から特に引き合いが多いのが「人の声」です。声のニーズというのはすごく多い。だから、そういうところを狙った商品があれば必ず売れるはずだという読みはありました。そんなとき、携帯コンテンツで付き合いのあったヤマハ社よりVOCALOIDのプレゼンを受けまして、これは面白いなあと。でも、業務向けに声は確かに売れるだろうけれど、このソフトにより価値を感じてくれるのはもっとマスのターゲットのはずで、そのマーケットに向けてこのソフトをどう売ればいいのか?と悩みました。と言うのも、その頃のソフトウェア業界ってマイクロソフト全盛で、売れてるソフトの名前って「オフィス2000」とか「キューベース3」とか。その流れで行くと、ソフトの名前は「バーチャルシンガー2004」みたいな。

——ソフトの使い道は分かりやすそうな名前ですね

Vocaloid Meiko
Vocaloid Meiko

ソフトウェアって、スッとしたデザインや幾何学的な模様を乗せて、語尾に年号とかあるのが主流でしたから、当然その様な名前にしたらかっこ良く見えるんじゃないかな?という検討はしていました。ただ、誰がこのソフトを買うのか、そもそも肝心の購入層がどこにあるのか分からなかった。例えばカレーラーメンとかあっても、ラーメンが既知だから、それがどんなものかみんな分かるじゃないですか。でも歌うソフトってまだ誰も知らないから。そういうものを売る時に、バーチャルシンガー2004って名前で売れるのか微妙だった。すごく曖昧というか、何に使えるのかもよくわからない。名前で共感できなくては売れない気がした。

それで、ソフトの中に人がいるような演出にしてみたらいいんじゃないかと発想したんです。ソフトウェアっぽくするんじゃなくて、箱の中に人がいるようなコンセプトにしたらいろんな人が買ってくれるんじゃないかと考えた。

パッケージの中に人がいるようなデザインにしようと色々と工夫をしました。「メイコ」というのはボイスサンプリングしたシンガーさんの名前です。パッケージにそのシンガーさんの顔写真を貼るのは何か違うような気がしたので、イラストが描ける社員にキャラクターを描いてもらいました。

「メイコ」の後、同じ手法で制作したのが「カイト」。あと僕らと昔から付き合いのあったイギリスの会社に作らせたのが「レオン」と「ローラ」。

——試行錯誤があったんですね。メイコの売れ行きはどうでしたか。

「メイコ」は結構売れました。だからこういう方向性はアリなんだなと確認できた。でも一方で、周りからは「やってしまった」と見られる事も多かったです。と言うのは、コンピュータミュージック業界って、コンピュータミュージックはかっこいいものだって暗黙の感覚があって、アニメ風のキャラをパッケージに描くことで、真っ向からぶつかってしまった。音楽ソフトを売るなら、音楽雑誌などに売り込んで行かなければいけないのに、掲載を断られたりもしまいた。コンピュータミュージックコーナーにこういうのあったら、浮きますよね。

——初音ミクのブレイクによって、ボーカロイドのようなボイスシーケンサの価値や意義が大きく認識を改められています。これから先ボーカロイドを取り巻く環境も変わって行くのだと思いますが、伊藤さんはミクの先にどんな未来がくると思いますか。

ネットで盛り上がっているものは初音ミクだったり、ニコ動とかTwitterとかUstだったりとかします。そういうネット上でコンテンツは次々と来ているけど、それらはすべて人間の活動なんですよね。

インターネットってちょっと人間味を感じにくかったりするところがあるけど、ネットのどこかにあるサーバーが全自動でミク曲を作っている訳じゃないし、人間の活動の結果がミクの歌としてネットにアップロードされている。つまり、人間の活動のアンプリファイアとしての初音ミクがあり、そのアンプを通して初めて見えてくる人間の活動があるんです。

人のクリエイティブ、例えば誰かの歌がうまいとか絵がうまいとか、ってリアルでちょっと会っただけだと分からないですよね。人って職場だと職場の顔をするし、人となりとかファッションとか好みとか職場の顔だと分からない。でも、今は多くの人が動画共有サイトとかUstとか、ネットのどこかで何か表現したり発したりしている。結局ネット上のコンテンツを作っているのは全て人間じゃないかって。なんだ、ちゃんとそこに人間がいて面白い事しているじゃん、っていうのが最近のネットの傾向だと思います。

——人間の活動を、一度人間じゃないアンプを通すことで、いっそう人間の内面性が出しやすくなると。

それもあるけど、人間って実は結構クリエイティブじゃないかって思います。見るからにおっさんでクリエイティブとは無縁な感じの人でも、きっかけがあれば何か作ったりするんじゃないかって思う。そういうところから新しくて面白い何かがでてきたりするんじゃないかなっていう。ネットの向こうにはコンピュータがあると思っていたら、実は人間がいた。みたいな感じです。

——それはすごく興味深いですね。

ちょっと前まで、音楽も小説も一握りの才能がある人だけがすごくて、素人が活躍できる余地は殆どなかった。でも人間のクリエイティブって、別に一握りの人だけの特権じゃないと思う。そうやって表現をしない人間ばっかりになることがつまらないと思う。クリエイティブって特別な才能とか一握りの人に許された特別な行為ではないんですよ。作るとか表現するとかは、人間に備わった本能みたいなものですからね。

——9leapの思想に近いものがありますね。

そう。で、そうやってできたもののほうがプロが作ったものより面白い、意外な面白さがあったりする。そういう発見を初音ミクはさせてくれました。

——これからのクリプトンさんの展望は。

うちのお客さんって基本的にクリエイターなんですよね。僕らも昔から音楽とか作っていてクリエイターです。その僕らがクリエイターのための製品やサービスを作っている。僕らはクリエイターのためのクリエイターのようなものです。だからクリエイターが創作をしやすくなるような画期的な何かを作ったり、発表できたら最高です。

例えば、僕らはライブの情報を集めて発信したりする「Gigle(ギグル)」ってサイトを運営しています。ライブ情報をソーシャルメディアを通じて拡めることで多くの人がライブに集まって音楽がもっと活性化したらいいと思って作ってる。こういうサイトって商売としてやっていけるものじゃないけど、僕らはクリエイターだから、クリエイターなら何が欲しいだろうって目線で作ってる。それが沢山の人に必要とされるようになったら、その時には商売になることもあると思うから。

——なるほど。とても貴重なお話、どうもありがとうございました!

VOCALOID2 キャラクターボーカルシリーズ01 初音ミク HATSUNE MIKU

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