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日本最大のゲーム開発者イベント「CEDEC」 運営委員長 吉岡さんに聞く! CEDECに懸ける想い (前編)

今年で13回目を迎える、ゲームを中心とするコンピューターエンターテインメント開発にあらゆる形で携わる人々が参加する日本最大級のカンファレンス CEDEC(コンピューターエンターテインメントデベロッパーズカンファレンス) 。運営委員長である吉岡直人氏に、wise9 編集部が CEDEC にかける意気込みをお聞きしてきました!


ゲーム業界へ飛び込んだきっかけ

――本日はお忙しい中、 wise9 の取材をお引き受けいただき、ありがとうございます。まず、吉岡さんの経歴についてお伺いしたいのですが、ゲーム業界に入られたきっかけはどのようなものでしたか?

僕は元々ゲーム業界の人間ではありません。僕が最初に就職したのは SCE (株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメント) ではなくソニー株式会社の方なんです。そこで NEWS(※1) という、UNIX のワークステーション(※2) に携わってました。

もう、UNIXワークステーションというのも昔話かも知れませんね。なので、少し説明します。もっと、昔の「メインフレーム」と呼ばれていたコンピューターは、機械だけでなくオペレーターのような人材まで含めてシステム販売するものでした。そのため、大学や銀行、大企業のみが買えるとても高価な物でした。それに対して、多くの部品を汎用電子パーツを使って作られた個人用のミニコンピューターというものが出てきました。当時最先端のメーカーが「スーパーミニコン」と言うジャンルを作ったんです。一千万円くらいで買えるスーパーミニコンは流行って、UNIX も一緒に技術者や研究者の間で普及していきました。さらにインターネットが商業化された80年代後半頃に、サンマイクロシステムズ社が「ワークステーション」という数百万単位で買えて、100V 電源で動くようになった高性能コンピュータを作りました。値段がさらに安くなり、UNIX が標準搭載されたコンピューターを個人で自由に使える文化が生まれたんです。

その系譜にあったのがソニーのNEWS です。僕が入社したのは1990年ですが、その頃のソニーはワークステーションのさらなる価格破壊を起こそうとしてました。ソニーのエンジニアが、自分が使うための高性能なコンピューターを求めて動いたんですね。当時の8ビットや16ビットのパソコンは、開発に使えるレベルじゃありませんでした。専門的な事をやろうとしたら、スーパーミニコンを使わなくてはならなかったのですが、まだ高いから人と分かち合って使わなきゃいけない。人と分け合うのが嫌いなエンジニア達が、「自分の責任で全部やりたい」というワガママな動機で作ったのが NEWS です。さらに全て日本語でサポートしたおかげで、爆発的にヒットしたんです。本当に凄いマシンだったんですよ。コマンドの全てについて、何の疑問もなく日本語が使えるUNIXは後にも先にもこれだけじゃないかな。Xserverも物凄く速くて、とても気持ちのいいマシンでした。僕はその上で X ウィンドウのアプリケーションや、Open Software Foundation の Motif(※3) などに代表されるようなGUI作成用のツールキットとしてソニーが出した、「ソニーウィジェット」などに携わっていたんです。最初に作ったのが SNMP(※4) 関連のもので、同じネットワーク上の相手に、ねえハードディスクどのくらい使ってる? とか、ネットのトラフィックはどう? とか調査を行うツールでした。このプロトコルを使ったものとしては、日本で最初に出たアプリケーションだったと思います。

やがて官公庁にまでコンピュータが導入されるようになると、技術者達がやりたい放題の「ハッカー文化」だったワークステーションの世界が、徐々にデファクトスタンダード(事実上の標準)や、ISOなどの公的な規格に沿うことが求められる時代になってきました。他の人が作ったガイドラインに従わなければならない作業は、個人的にはつまらなくなってきまして。するとソニーの中で「プレイステーション」を作ろうって話が出てきて、久夛良木さん(※5)が、大きなデモ機を台車に乗せて、社内を歩き回ったんです。ちょうどナムコが、アーケードゲームで「 RIDGE RACER 」などの展開を始めてた時代でした。当時にしてみれば軍事シュミレーターの世界だったリアルタイム 3D を、オモチャにしてたというのは衝撃でした。そして1994年のプレイステーション発売の半年程前に、子会社に異動という形で SCE に移りました。僕はその中で、いわゆる「アーティストツール」、ファイルフォーマット (ファイルの保存形式) を扱うためのツールを作ったりしていました。

そのうちに 3D のゲームがレベルが上がってきて、データも複雑化してきました。なので、専門のツールメーカーさんと組まないといけない状況になってきました。Softimage(※6)や、あるいは当時の 3DStudio(※7) やエイリアス・ウェーブフロント(※8)、今はオートデスク(※9)という一社に合併してしまった会社ですね。プレイステーションの時代から何故そんな事を始めたかと言うと、来るべきプレイステーション2時代への準備でした。PS をさらに上回る性能を持つ PS2 は、そのままの作り方だとゲーム開発のコストがさらに上がってしまいます。ミドルウェア(※10)を使わず、何から何までスクラッチで作れば、商売にならずにエコシステムが崩壊してしまいます。エコシステムが崩壊し、開発関係者が食べる事すらできなくなる可能性がある…という直前まで来たところで、SCE の CTO をやっていた岡本真一さんと必死に各所を回ってミドルウェアについてサポートしてもらうことが出来ました。しかし、やはり難しかったのはゲームメーカーさんに使ってもらうことでした。だから結局 PS2 は、ミドルウェアがなくても使えるような構成になっていった。そのかわりに、開発効率など多くのものを置き去りにしたんです。そしてその事は、PS3 の時代になって大きく影響してくるんです。

ハードとは逆に、ソフトウェアの利点として「何とか作れてしまう」ことが挙げられます。しかし問題は「ちゃんと」作らないといけないんですよ。「ちゃんと作る」というのはどういう事だと思います?

――バグがなく、ちゃんと面白いという事ですか?

それは遥か遠くの目標なんです。もっと手前、作り手の話としてね…実は作っている側にしても、未だによく分かってないんですが。ゲーム、特にパッケージゲームの場合はソフトウェアとしては適当に作っても、面白くてお客さんの手元でバグがないレベルなら「商品」としては全然大丈夫なんです。しかし技術的に見ると、壮大な「やっつけ仕事」になってしまう恐れがあるんですよ。突貫工事で作ったイベント会場の建物のようなものです。見栄えも良くお客さんは来てくれますが、人は住めません。建物としては致命的ですよね。

――そうやって「やっつけ」で作った場合、後でシステムを使い回したりもできませんよね?

「やっつけ」仕事のシステムを移動しようとすると、それを作った人間ごと移動しなきゃいけなくなるわけですからね。これは不自由だし、高くつくし、システムと一緒に移動させられる人にとっても可能性を狭めることになりかねない。だから、きちんと作るのが大事。きちんと、というのは全体としてこれは何なのか? にも、どんな些細な部分でも全部きちんと説明できるように作るということです。これは、もちろん手間がかかりますし、成功体験だけからじゃ身につかない技術だと思います。何度も失敗を繰り返して体に染み込ませていくような技術です。技術者自身は、仕事としてじゃなくてもこの世界を目指して欲しいと思うし、マネージメントもそれを理解して技術者集団を運営したほうがいい。これは、全く余裕の無い職場では無理な話だから、技術者集団のマネージメントというのは、ただ成果だけを求めるのではなくて、余裕も作り出す技術といえるかも知れません。難しいですよ。

(※1)NEWS:Net Work Station の略。1980年代後半から1990年代前半にかけてソニーが開発したUNIXワークステーション。
(※2)ワークステーション:事務処理や科学技術計算、グラフィックデザインなどに特化した業務用の高性能なコンピュータである。
(※3)Motif:Open Software Foundation が1989年からリリースしたXウィンドウのGUI規格の一つ。
(※4)SNMP:Simple Network Management Protocol の略。ネットワークプロトコルの中で、TCI/IP におけるネットワーク管理を行うプロトコルで、マネージャとエージェントの間でネットワーク管理のための情報交換を行う
(※5)久夛良木さん:久夛良木(くたらぎ)健氏。SCE を設立し、プレイステーションの販売を実現した。現ソニー株式会社・シニアテクノロジカルアドバイザー。
(※6)Softimage:オートディスク社の子会社及び同社が開発した 3D 制作用ソフトウェア。
(※7)3Dstudio:オートディスク社による 3DCG 制作用ソフトウェア。1990年に 3D Studio DOS としてリリースされ、その後 3d studio max から 3ds maxと 名称を変えリリースされ続けている。
(※8)エイリアス・ウェーブフロント:3D ソフト「 Maya 」を製作した会社。2008年にオートディスクに買収される。
(※9)オートデスク:株式会社 Autodesk 。図面作成ソフトウェアを主に作成している。2005年にはエイリアスソフトウェアを、2008年には Softimage 社を買収。
(※10)ミドルウェア:コンピュータにおいて、OS とアプリケーションソフトウェアの中間に入るソフトウェアの事。通常はオペレーティングシステムの機能の拡張、あるいはアプリケーションソフトウェアの汎用的(共通的)な機能を集めたものである。

「ゲーム業界」全体へ

――その後、様々な会社に移られていますよね。

SCE の後はまずマイクロソフトに入ったんですが、そこで Xbox の開発に携わりました。
その後入社したクライテリオンソフトウエア(※11)では、Renderware という、マルチプラットフォーム用のミドルウェアをやっていました。クライテリオンはもともとキヤノンの子会社で、キヤノンのヨーロッパのコンピューターグラフィックスの研究をやってるところからの起業でした。でも EA(※12) に買収された後に、ミドルウェア単体としてのビジネスはもう出来なくなったというビジネス的な事情でクライテリオンジャパンを閉じて、スクウェア・エニックスに入りました。
MSとEAから学ばさせてもらったことは、とても沢山ありました。一番重要なのは、日本からの目線で見ると、どちらかというとマーケティング志向の会社と見える両社が、とんでもなく技術的な会社だったことです。確かにマーケティングや商品企画も強いんですが、そういう人たちも一流の技術者になり得るような人達でした。だから、社内ほとんどのところで、しっかりとした技術的な議論や判断が行われていました。ということは、今や、少し未来の技術レベル予測の根本を共有できているので、妙にコンサバティブになることもなく、ギリギリのところに挑戦できるわけです。これは、ものすごく面白い体験でした。

――スクウェア・エニックスへ入社後は何をされていましたか?

ずっと基盤技術系をやってました。ただ実際は基盤技術やテクノロジーの開発というよりも、「テクノロジーに対して真っ当に取り組む文化」はどうやって作ったらいいのかいうのが課題でした。色々やってみて、最終的には次々世代くらいの技術研究を狙ったリサーチセンターを3年くらいやりました。結局そういった活動は、全て CEDEC の運営によって包括しました。スクウェアエニックス自体を改革するのではなく、もうゲーム業界全体、もっと言えばゲーム業界を取り巻く環境少しでも変えてやろうと思い始めてたんです。

――「周りから変えていく」ということですね。その方が近道かもしれないですね。

ゲーム業界全体を変えるということも、ゲーム業界を取り巻く環境を変えるということも、両方ともすなわちゲーム業界のあり方を変えるという事です。それに、そもそも僕は「ゲーム業界」なんて「無かった」と思ってるんですよ。つまり、「ゲーム業界」というのは幻でしかないんじゃないか。「ゲーム機業界」という物は、ビジネスモデルの問題ですが確かにありました。ソフトを各社に技術情報をライセンスして、それを使ってコンテンツを開発してもらってロイヤリティーを得るという、「プラットフォームビジネスモデル」を任天堂さんが発明し、それを SCEさん やマイクロソフトさんも基本的には踏襲してきました。それによってゲーム機のメーカーが、エコシステムのハブになってたんです。従ってゲーム開発者たちはそのハブを中心に、ハードウェアやSDKに関する知識を中心とする情報を共有してきたんですね。ところが、今その体系は変化しようとしています。ゲーム機各社さんはネットワークの展開を始め、Apple などの参入も始まりました。プラットフォームの存在はハードウェアではなくて、流通やサービスの分野に移りつつあるんです。すなわち「ゲーム機業界」はもう無く、エコシステムに関するハブも存在しないんです。様々なネットワークサービスによるプラットフォームが出てきた現在、もはやハードウェアやSDKに関する知識はゲーム開発に関する唯一の中核ではなく、むしろどうやってサービスを提供していくか、今どんなテクノロジーがあって、それがどう使えるか、どんな文化にどのように「刺さる」のかっていう方が重要性を増してきました。

僕の中には、エコシステムとしての「ゲーム業界」という意識はもう無いです。そして業界が存在しない以上、他の業界と交わっていく必要があります。ソフトウェア業界の一部でもあり、エンターテイメント業界の一部でもあり、もしかしたら別の新しいサービスの一部でもあるかもしれないのが、ゲームという存在だと思います。だから今まで「自分はゲーム業界の人間」と言ってた人が、「業界」の外の人たちから学ぶチャンスを作っていくというのが「ゲーム業界」改革のための手段の一つ目です。

そして二つ目は、今まで僕たちが中で培ってきた物を「業界」の外に向かって解放しなけれならないということです。その目的はいくつかあって、一つは、ゲームで培ってきた物が別の業界では全く別のやり方で活用できるかもしれないという事ですね。これについてはまだ未知数です。もう一つは、僕らが凄いと思っていたものが本当に凄いのかどうか、問うてみる事です。例えばゲームメーカーが、サクサク感がどうとか言いますよね。でも、もしかしたらそれはパッケージソフトだけの閉じた業界だったからこそ成り立ってただけかもしれないですからね。

――インターネットやスマートフォンではまた違ってくるかもしれないですね。

多分違いますね。例えば、見かけは似ているタブレットで、シャープの GALAPAGOS と iPhone・iPad 、そして GALAXY を比べたとき、明らかに違いますよね。基本的な技術は一緒なのに、違うものができる。そういうところに、ゲーム業界で活かせるものがあるかもしれないということです。

だから今年の CEDEC では「 Cross Border(※13) 」というキャッチフレーズを掲げました。あれは「お互いに『理解できないていない』ことを、理解する事から始めましょう」って意味なんですよ。ゲームの世界の人々が、アカデミック、ソフトウェア、サービス、電子書籍、アニメ…様々な世界の人たちと言葉が「通じあってる」と思っているなら、それはきっと勘違いなんだと思います。ちゃんとコミュニケーションできていないから、「なんとなく言葉が共有できている」って思い込んでいるだけじゃないでしょうか。だからまず「話し合うよりケンカしようぜ!」ってことです。その方が「分かり合う」という点においては近道ですから(笑)。

(※11)クライテリオンソフトウェア:イギリスに拠点を置いていたミドルウェアメーカー。RenderWare の開発で有名。2004年、EA により買収された。
(※12)EA:エレクトロニック・アーツ。アメリカカルフォルニア州に本社を構えるゲームソフト会社.(参照:http://www.eajapan.co.jp/
(※13)Cross Boader:CEDEC 公式HPの「委員長コメント」にて、吉岡氏が掲げられているキャッチフレーズ。(参照:http://cedec.cesa.or.jp/2011/outline/chairman.html

アメリカを中心とする、近年のゲーム事情

――CEDEC に誘われた経緯はどのようなものだったのですか?

僕は CEDEC の設立からしばらく経った後に、川西さん(※14)に誘われました。だから設立当初の話に関しては、僕も後から聞いたものばかりですね。

CEDEC の元になったのは、アメリカでやってた CGDC(※15) 、今で言う GDC だったそうです。これは、最初はゲームオタク、オタクといってもNerdというよりGeekな人たちが集まって開く、いわば「趣味のコンピューター学会」だったのですが、徐々に彼らは自分たちの持つ知識を形式化して参加者間で知識の共有を進めていった。そして最終的には GDC は業界全体のテクノロジーを発展させていくんです。それと同じ事を日本でもやろうとして、川西さんや清水さん(*16)が始めたのが CEDEC だったんですね。

日本とアメリカのゲームテクノロジーについて、よく「両者に差は無い」みたいな事が言われますけど、それは「レベル」の話であって中間層の「厚み」に関しては圧倒的に違うというのが僕の見方です。それは1997年あたりに、シリコンバレーのバブルが崩壊した事に端を発していると思っています。億万長者を目指してたような有能な技術者達が、仕事を失って「仕方なく」ゲーム業界に入ってくるんですよ。その効果が徐々にゲームの世界に現れ始めます。Xbox なんかはその流れに乗じて作られるわけですね。さらに2000年頃には、ハリウッドの CGI スタジオのバブルが崩壊しました。映画の CG 作ってた人たちが、また「仕方なく」ゲームの世界に入ってくる訳ですね。

――それがきっかけで、3D ゲームが発展したんですか?

3D ゲームのクオリティという点で大切なのは、制作の過程と思っています。CG スタジオの人たちが入ってくる事で、映像業界でいうプリプロダクション(※17)の概念が入ってきました。日本では当時 PS2 が絶好調でしたけど、あれは、良かれ悪しかれシステマティックな作り方を拒否して作られたかのようなハードウェアです。あのアーキテクチャー(基本設計概念)でミドルウェアを使うのは難しかった。だから PS3 では SCE さんもしっかりしたアーキテクチャーを築こうとしておられるように見えます。それがこの20年くらいのゲーム業界のテクニカルな面ですね。

ゲームはエンターテインメントである以上、特殊な事情がある場合を除いてウォーターフォール(※18)スタイルでの開発が出来ないのが宿命なんです。面白いかどうかは、やらないと分かりませんから。アメリカ人はその「面白いゲーム」などという訳の分からない物を「飼い馴らそう」と、いろいろな手を打つんです。生産ラインにおける、ソフトウェアのコンフィグレーションマネージメント(構成管理)という概念を生みだし、無駄の無い作業を行うようにがんばる。ビルドマシンどころか、ビルドファームを作って、いつでもソフトウェアの構成がどうなっているかを確認できるようにヘルスメーターを組み込む。このような基盤の上に「面白いゲーム」を追求するために、イテレーションサイクルを高速化するためにライブエディットのシステムを凄腕の技術者を投入して構築する。ゲーム開発のコストを無理やり下げる事ではなく、そのコストを制御して、予測できるようにしてるんですね。見込みがたたないと制作費は出ませんから。

(※14)川西さん:川西裕幸氏。DirectX SDK 日本語ドキュメントの制作に携わる。現在マイクロソフト デベロッパー&プラットフォーム統轄本部在籍。
(※15)CGDC:Computer Game Developers Conference、GDC (Game Developers Conference) の旧称。アメリカにて毎年2月から3月にかけて開かれる、ゲーム開発者を中心にした大規模なカンファレンス。初回は1987年。
(※16)清水さん:shi3zこと現wise9編集長。1998年からCEDECの立ち上げに関わる。主にセッション企画を担当した
(※17)プリプロダクション:撮影前を総称する映画用語。脚本・絵コンテを完成させ、スタッフを集め、ロケハンを行うまでの一連の作業。ちなみに CG による絵コンテはプリビジュアライゼーションと呼ぶ。

(※18)ウォーターフォール:ウォーターフォール・モデル。開発プロジェクトを時系列順にいくつかの工程に分割し、前工程が終了しないと次工程に進まない事を原則とする、ソフトウェアの開発モデル。

「ゲームばっかやってんじゃねえよ!」という吉岡さんの、今だから伝えたいメッセージとは? 後編は明日公開!

CEDEC参加申し込みはこちらから。期限は 8月31日まで!

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