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未来を予想する最善の方法はそれを発明することではない:動画で学ぶGUIの歴史と未来

shi3zです。先日購入したOPTIMUS PAD。けっこう持ち歩いているんだよね。

赤青のアナグリフ方式の3Dカメラ搭載という衝撃の機能が入っていたのだけど、肝心の赤青メガネがなかった。

そこでUEIのご意見番、水野くんに聞いてみると「もってますよ」とのこと。

ちょっと待て。この人はいったいなんでこんな代物を持っているんだ

そして未来予想とAndroid3.0とWindows3.0の類似性について考えた。

続きは以下のリンクから

 

まあとにもかくにも3Dメガネを見つけたので試してみる。

おおっ。立体に見える!
そしてこれを見ている姿はやっぱりバカっぽい。

21世紀に最新最先端のデバイスを使っているのに、ものすごくバカっぽい。
これでいいのか?

いや、これがオドロキマス・オプティマスということなのか!

たしかに驚くが・・・

 

さて、僕の本業はWise9編集長・・・というのも、もちろんそうだけれども、実際の仕事は、研究開発だ。

さまざまな企業から新製品の開発について依頼を受ける。

そのときに、業界の未来予想を行って、「未来はきっとこうなるから、今こういうものを作るべきでしょう」という提案を行う。時には実際に「作るべき」ものを作ったりもする。

 

だからこういった新しい端末は積極的に買っていき、誰よりも速く、沢山体験する。
アメリカ人とアップル信者が好きな格言に、アラン・ケイのこんな言葉がある。

 

「未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ」
The best way to predict the future is to invent it

 

この言葉は、全ての技術者と科学者に勇気を与える素晴らしい言葉だと思うが、残念ながらこの言葉はなにも意味していない。「がんばろう日本」くらい抽象的だ。

なぜなら、当然ながら、全ての人が未来を作り出せるわけではないからだ。

これまで様々な発明が行われ、さまざまなイノベーションが世の中を変えて来た。

しかし同時に、それの数百、数千倍の発明が行われ、誰にも注目されず消えていったことに注意しなければならない。

つまり、未来を作り出そうとすることによって未来を予想するというのは、暗闇で石を投げるのに等しい。
それは手段であって方法ではないと思う。

もっとも原文では「方法(Method)」ではなく「Way(道)」となっている。
「未来を発明しようとすること」が未来予測への最前の道、であることは嘘ではないかもしれない。

日本語にするときに微妙なニュアンスが変わってしまうのはいつものことだ。

 

実は発明というのは、以外と難しくない。
僕もたくさんの特許を申請している。

フォーマットさえ整えれば、特許を申請することそのものは単なる作業だ。
しかし、申請した特許を実際に役立てようとしたら、これは大変な困難を伴う。

僕自身も、僕の知人の研究者達も、起業家、企業の研究者、クリエイター、大学教授、地位や立場は様々だが、無数の特許を持っている。持っているがしかし、それが実際に機能することは滅多に無い。

だから実際の未来予想を仕事にするとき、このアラン・ケイの言葉を信じてはおぼつかないのだ。

では、どうすればいいのか。

もっと優れた格言がある。

 

「歴史は繰り返す」
History repeats itself.

 

ローマの歴史家、クルティウス=ルーフスの言葉だ。これ以上的確に未来予想の手がかりとなる格言はない。

さらにもうひとつ。

恐れながらアラン・ケイの名言を修正させてもらおう。

 

「未来を予測する最善の方法は、それを体験することだ」
The best method to predict the future is to experience it

 

今手に入る最新の製品があれば買ってみる。
手に入らない製品だったら、なんとか借りてみる。
製品になっていないような技術だったら、それがあるところまで出かけて触らせてもらってみる。

これ以上に大事なことはない。

コンピュータグラフィックスの世界的権威で、ラジオシティ法の発明者のひとりである東京大学の西田友是教授が常々言っておられるのはこんなことだ。

 

「僕がCGの分野で特別賢かったというわけではない。ただ、ディスプレイが発明されたとき、会社勤めをやめて、ディスプレイがある大学に移って研究者にもどったこと。機材がなければできない研究というのは非常に多いから、最先端の機材があるところのほうがより良い研究ができる」

 

西田先生が最初にコンピュータグラフィックスの研究を始めたのは学部生のとき。

しかし、当時、なんとディスプレイは発明されていなかった。ディスプレイだよディスプレイ。液晶とか、ブラウン管とかも関係なく、ディスプレイ。

画面が無かったんだよ。昔のコンピュータは。

その頃にパンチカードと紙テープでグラフィックを描かせようと研究を始めた学部生だった西田先生は、当時散々バカにされたという。「おまえは計算機の勉強をしているのに、お絵描きなんかで卒業するつもりか」と。

そもそも当時のコンピュータはインタラクティブでさえなかった。

西田先生は広島大学に居た頃は、大量の紙テープにパンチしたプログラムを背中に背負い(軽く数十キロあったそうだ。キロバイトじゃなくてキログラムね)、夜行列車で東京までやってきて、東大の計算機センターに朝プログラムを提出すると、翌日の夕方頃に結果を紙テープで受け取る、と言った感じだったらしい。

今みたいにコンピュータを持ち歩くどころか、キーボードやディスプレイさえもない。
そんな状況でもコンピュータグラフィックスの研究をしていたわけだ。

就職してもコンピュータグラフィックスの仕事なんかあるわけもなく、大手自動車メーカーでコンピュータを使って自動操縦をさせる実験をしていたらしい。今から40年も前のこと。凄いよね。

その後、ユタ州の大学でイワン・サザーランドがスケッチパッドを発明する。

 

アラン・ケイによるスケッチパッドの解説

 

サザーランドの研究室では数々の発明がなされたが、その最大のものはインタラクティブなコンピュータグラフィックスの実現だった。

そしてサザーランドの直弟子とも言えるのが、先の格言を残した、オブジェクト指向とGUIに多大な貢献をしたアラン・ケイ、そしてシリコングラフィックスを設立し、コンピュータグラフィックスを初めて実用的な事業にし、後にネットスケープ(今のFirefoxの原型)を設立したジム・クラークなどだ。

 

ジム・クラークやアラン・ケイが特別優秀な学生だったことは疑いようもないが、運もある。
ユタ大学に行ってサザーランドに師事したことだ。

優れた教官と教材、そして世界最先端の道具。そこには研究のため必要なものが全てそろっていたわけだ。

ちなみにサザーランドはその後、インターネットの設立にも重要な貢献を果たす。
サザーランドについての詳細はこちら

 

さて、サザーランドの研究室からは、他にもコンピュータグラフィックスの成立に多大な貢献をした研究者が次々と生まれている。グーロー・シェーディング法の発明者であるヘンリー・グーロー、アンチエイリアシングを発明したフランク・クロウ、ピクサーの共同創業者であり、ディズニーの現社長であるエド・カットマル。Adobeの創立者であるジョン・ワーノックもサザーランドに師事している。一体全体、同時期にひとつの研究室から、これだけの才能が育つことがあり得るだろうか。

 

そしてXEROX(ゼロックス)のPARC(パロアルト研究所)へアラン・ケイが行って開発したのがXerox Alto。世界で初めて実用的なGUIを搭載し、オブジェクト指向言語Smalltalkで動作する夢のコンピュータだ。

Xerox Alto

 

これの開発途中バージョンを実際に触った男が二人いた。

若き日のウィリアム・ゲイツ三世と、スティーブ・ジョブズだ。

 

彼等はそれに衝撃を受け、急いで模造品を作った。ゲイツはWindowsを作り、ジョブズはLisaを作った。

ゲイツはWindows1.0をわずか99ドルで発売した。

 

Windows1.0をCMするステーィブ・バルマー(現Microsoft CEO)

 

Lisaのデモ

 

ゲイツとジョブズはともに間違いを犯した。

ゲイツは粗悪品を作り過ぎ、ジョブズはこだわりすぎて高級品を作りすぎた。

ゲイツはAltoへの夢はいったん忘れることにして、ジョブズはよりシンプルで低価格なAltoもどきをつくることにした。

 

スティーブ・ジョブズ自身によるMacintoshのデモ

http://www.youtube.com/watch?v=OYecfV3ubP8

Macの最初のCM。監督はなんと”ブレードランナー”や”エイリアン”、”グラディエイター”のリドリー・スコット

 

明らかに勝負に負けたゲイツは、最初のMacをこう絶賛している。

 

一般に思われているようにゲイツとジョブズはそう仲が悪いわけではない。

ゲイツはこの言葉通り、Mac用に重要なソフトをいくつか開発する。マイクロソフト・フライトシミュレータ、そしてマイクロソフト・エクセルだ。

このエクセルがMacに果たした役割は大きい。Macは単なるオモチャではなく、実用的なアプリケーションになるのだ。

ちなみにこの当時、Windowsではエクセルは動かなかった。

21世紀現在、少年達は知る由もないだろうが、ほとんど全ての大人はエクセルを仕事に使っている。

エクセルがなければ仕事にならないほどだ。
企業がコンピュータを買う基準は、エクセルがあるか、ないかだ。
僕もつい昨日、エクセルを買いたいという話をされた。

 

さて、しかしゲイツも黙って軍門に下っていたわけではない。
虎視眈々と挽回のチャンスを狙っていたのだ。

 

マイクロソフトがエンドユーザ向けオペレーションシステムに関するイノベーションで本格的に反撃を開始したのは、Windows3.0からだ。

全てはここから始まった。

なにが凄かったのか。

Windows3.0にはエクセルが移植されたのだ。
それで企業もみんな、Windowsに乗り換える気になった。

運もあった。

Macを作った直後、ジョブズはその横暴な経営姿勢を嫌われ、Mac自身の売れ行きも最初はサッパリだったから、すぐに会社を放り出された。

ジョブズ不在の間、ゲイツはWindowsをどんどん強化した。WindowsNTとWindows95、Windows2000、WindowsXP・・・WindowsVistaでつまづくまではマイクロソフトは大成功し、この世の春を謳歌した。

動画でみるWindowsの変遷

 

マイクロソフトは、バージョン3で製品が「まとも」になる、という性質をいつも持っているようだ。

Windows以前に成功した、DOSに関してもそうだ。

最初のバージョンはCP/Mの粗悪な模造品だった。コードを書くことすらしていなかった。
なんとかまともに使えるようになったのはバージョン2.11から。

きちんと仕事に使えることが解って普及したのはバージョン3.0からだ。

Windowsはバージョンを重ねるごとに劇的にUIが改善されていく。

ただしVista以降は、ちょっとやりすぎているような気がする。

 

それに対して、Macは登場時から基本的なUIはほとんど変更を受けていない。

強いて言えば、旧MacOSからOSXになったときにAquaという現在のデザインコンセプトが導入されたが、OSXになってからは細かく変更されたり拡張されたりしているだけだ。もちろんバージョンアップするたびに確実に「良く」はなっている。

 

こういうことを踏まえて、いまのiPhone/iPad用のOSであるiOSと、Androidを見てみよう。

Android1.0

iPhone

Androidの最初のバージョンはお世辞にもセクシーでも快適でもなかった。
iPhoneは初登場の瞬間からセクシーだ。

わすれがちだが、最初のiPhoneにはAppStoreが無かった。

AppStoreがないiPhoneをAppleは一年間も売り続けたのだ。そのうえで世界記録となるようなセールスをたたき出した。

それに対してAndroidは、SDKから配られた。
端末より先にSDKとエミュレーターが配られたので、アプリは当初からダウンロードできた。

 

当初、AndroidのGoogle Marketは、粗悪な試作品と合法性が怪しいアプリであふれていた。
それに比べれば、iPhone向けにつくられたどんなダメなアプリでも、最低限の基準はクリアしていた。

 

そして月日は流れ、iOSはバージョン3になっても、特に大きな目立った変化はない。
ハードウェアは確実に進化しているが、UIは基本的には初代のものを継承している。

それに比べて、Androidはどうなったか。
バージョン2.3.3になって、機能は大幅に進化した。

そしてホーム画面・・・オン・デバイス・ポータルとも呼ばれる・・・は各社が様々なUIを試行錯誤して練り上げた。

Xperia X10 Rachel

HTC Sense

ただし、この路線はいずれWindowsVista化(つまり機能を強化しすぎたり、奇をてらいすぎたりして結局パフォーマンスを低下させてしまう)する危険性を孕んでいる。しかしまだバージョンは2.3だ。3.0になる頃にはより洗練されているかもしれない。

 

そしてAndroid3.0は、いまのところスレート型端末専用になっている。

Android3.0

iPhone用のUIを基本的にはそのままもってきたiPadに比べると、スレート端末に特化して機能を強化したAndroid3.0のUIは、よりPCに近いデザインと言える。

個人的にはこのUIの勝負は実用性という点においてAndroid3.0の圧勝だ。

大きい画面であればこそ、たくさんのWebページを見たい。

そういうときに、Android3.0なら、ふつうのPCのタブブラウザと同じようにたくさんのタブを開くことができる。

iPadは未だに8つまでしかページを開けない。ここだけでも勝負がついている。

Android3.0のホーム画面は、ちょっと派手すぎだ。とはいえ却って使いづらい、ということもない。
ただ、この色使いだと母親に使わせるのは難しいと思う。
iPadのほうがより万人向けという感じがする。

 

iOSは、たぶんまだあと数年はこの路線のまま特に目立った進化もなく発展していくのだろう。
今後の展開も予想できる。ICカード対応、HDMI出力、より高速なGPUとRAM。大容量。高解像度。

そんなところだろう。

Appleというのは、革新的だが実は保守的な会社だ。

いちどコンセプトを決めたら滅多なことではブレない。
後方互換性のないUIというのを導入したことも殆どない。唯一と行っても良い例外がOSXだ。

 

しかしそこが同時にAppleの泣き所でもある。

iOSのタスクスイッチは、明らかにおかしい。

ホームボタンというもともと固いボタンをダブルクリックしないとタスクスイッチできないなんて、セクシーじゃない。

これはAndroid2.x系にも言える。ホームボタン長押しとか、正気の沙汰じゃない。素早く切り変えたいからこそ、タスクスイッチを使うはずなのに、ホームボタンを長押しさせたりダブルクリックさせたりしたらそのぶんだけ時間をロスする。

そういう意味では最も洗練されているのはAndroid3.0だ。タスクスイッチ専用のボタンが画面下部に常に表示されている。

タスクスイッチは、もっと発展の余地があるだろう。タスクスイッチ専用のハードウェアキーを用意してもいいくらいだ。

しかしAppleは一度決めたらなかなかそれを変えようとしない。もっといいやり方がないかどうか、Appleは長い時間研究に研究を重ねているはずだ。そのうえで敢えてやらないのだろう。

 

携帯端末におけるタスクスイッチに関して、僕たちもいろいろな企業からの依頼を受けて長年研究を続けて来た。まずそれが必要なのかどうか、という点と、必要であるとすればどのようにするのが最善なのか。

 

第一にマルチタスクを導入する目的はなにか?

それは、ユーザが感じるストレスを軽減するためだ。

ではユーザはなぜマルチタスクがないとストレスを感じるか?

それは、マルチタスクがないと操作によけいな時間がかかるからだ。

 

たとえば、あるWebページを見つけて、それをTwitterに投稿したいとしよう。

WebページのURLをクリックして、全選択して、コピーして、Webブラウザを終了して、Twitterクライアントを立ち上げて、Tweetボタンを押して、テキストエリアを長押しして、ペーストして、つぶやく。

これがマルチタスク導入以前のiPhoneの操作だった。

これを短縮するためにブックマークレットを活用する方法もあったが、こうしたブックマークレットはサービスごとに必要になるし、ブックマークレットによって解決できるのはあくまでもWeb⇒その他のアプリの場合だけで、これはひとつの解りやすい例にすぎない。

Webページを見ながらメールを書いたり、WebページをみながらTwitterを操作したり、Webページのローディング時間待ちにTwitterを見たり、といったことはごく普通にあり得ることなのにそれを実現するためのインターフェースは十分とは言えない。

iOSにマルチタスクが導入されると、先ほどの手順のうち、Webブラウザの終了とTwitterクライアントの立ち上げは、ホームボタンのダブルクリックで代用できるようになったから少しはマシになった。しかしそれでも、URLをクリックして、全選択して、コピーして、Tweetボタンを押して、テキストエリアを長押しして、ペーストして、つぶやく、という作業は残っている。全く馬鹿げた作業だ。

 

Androidはその点だけについては遥かに洗練された仕組みを持っている。
インテント・レシーバという仕組みだ。

AndroidのWebブラウザを操作していて、「あ、このページ気になる」と思ったとしよう。
Androidのメニューから、「共有」というコマンドを選ぶと、「URLの共有」 というインテントに対応したインテントレシーバを持つアプリが一覧表示される。その中にはもちろんTwitterクライアントも入っている。

従って、先ほどと同じ操作をするのに、ユーザは、Webブラウザでページを見る、メニューを開く、共有コマンドを選ぶ、Twitterクライアントを選択する、つぶやく、という手順だけで済む。

この仕組みはiOSより圧倒的に洗練されているだけでなく、既存のどのデスクトップOSよりも洗練されている。

 

この仕組みは双方向で提供可能であり、逆にTwitterクライアントからWebブラウザにURLを送ったり、URLをメールしたり、といったあらゆることに使うことができる。

 

タスクを単純にスイッチするのではなく、ユーザの「やりたいこと」を先回りしてタスクに振り分ける、というのがインテントの仕組みなのだ。

 

また、マルチタスクの表現方法について、さまざまな有識者にインタビューを行った結果、マルチタスクにとって大事なのは「土地勘」だということが解った。

以外にも、それは場所の概念なのだ。

これはマルチタスクの起源が、単にコンピュータの技術発展にあるのではなく、人間の生活様式にあるからだということになる。

 

例えばコンピュータを使用していない場合であっても、人間はマルチタスクに仕事を処理している。

 

学校の宿題をやる、といった仕事を想定してみよう。

まず教科書を開き、ノートを開く。

教科書で情報を確認し、ノートに書き留める。

これだけで既に2タスク走っている。

気分が載らないから、イヤホンをつけてiPodで音楽を聞く。これで3タスク。

行き詰まった。机の片隅にあったジュースに手を伸ばし、飲む。これで4タスク。

 

これらのタスクを象徴しているのは、「モノ」だ。

たとえば今この瞬間、目を閉じてみて、机の上になにがあったか思い出すことはできなくても、ジュースを飲みたい、と思えば自然に手が伸びるだろう。

それは「土地勘」があるからだ。
人間は机を使うとき、無意識的に全てのものの場所を覚えている。

そしてわざわざ「机の左上から二番目に教科書がある」などと考えなくても、自然に手が出る。

これは「机の左上から二番目に教科書」というのは、論理的な情報で、「あそこにアレがある」というのは知覚的な情報だ。

知覚的な情報は論理的な情報よりも圧倒的に処理が速いと言われている。

なぜなら知覚情報は、身に迫り来る危険などから素早く自分自身を守ったり、それに対応するためにはできるだけ高速に処理できるように備えてあるのに対し、論理的な情報は、知覚した後、それがなんであるかを考えたり、整理したりといった手順を踏むため、どうしても遅くなるのだ。

コンピュータを扱うとき、文字や数字を扱うことが多いので論理的な感覚はもちろん活躍しているが、キーボードを打ったりマウスを動かしたりするときは知覚的な情報が活用される。

ということは、UIはむしろ知覚的な情報処理をベースとしなければならないのだ。だから「直感的なUI」という言葉が生まれるのである。

 

にもかかわらず、iOS3.2のタスクスイッチはダブルタップしてからアイコンと名前でタスクを選ばなければならないし、Androidのインテントレシーバにせよホームボタン長押しにせよ、直感的とは言いがたい。

タスクきりかえのためのメニューが唐突に出現することによって、つい先ほどまで作業していた文脈が分断され、忘れてしまうのだ。

 

実はWindows以前にもマルチタスクは存在した。

MS-DOS4.0にもタスクスイッチの機能があった。それはちょうどいまのiOSやAndroid3.0のタスクスイッチに似ている。画面全体が切り替わるタイプのタスクスイッチだった。

しかしそのタスクスイッチはかなり慣れないと快適に使うことはできない。

というのも、人間は画面がパッと切り替わった場合、それを見て感じること(知覚的情報化)は一瞬でできるが、それがなんについての情報であるか認識(論理的情報化)するのに3〜7秒を必要とするからだ。

 

そこで最善の方法は、作業文脈の連続性を失わず、タスクスイッチを行うことだ。
ひとつ素晴らしい方法をApple自身が示したことがある。

ジョブズによるExposéのデモ

この機能・・・Exposé(エクスポゼ)はWindowsからMacに移行した人が感動する機能のひとつだ。

重なり合っていたウィンドウが縮小され、一覧表示される。しかもこれは単なるサムネイルではなく、実際に動作しているウィンドウなのだ。たとえば動画は再生され続けているし、GMailを表示したWebページは新しいメールやメッセージを表示し続けている。

WindowsVistaではこの機能の重要性を完全に誤解したMicrosoftが作った模倣機能が搭載されているが、二つを比べるとその利便性の差は歴然としている。

 

しかしExposéは作業文脈の連続性を保ったままタスク切替えするにはとてもいい方法だが、携帯電話で使うには少し無理がある。

それでも最近はいくつかのAndroid端末に似たような機能が搭載されてきた。

iPad向きの機能ではあるので、これは次のバージョンあたりでは入ってくるかもしれない。

作業文脈を断絶しないタスクスイッチの方法として、もうひとつ興味深いのがやはりMacOSXに搭載されている。

 

ジョブズによるDashboardのデモ

 

まあこれはKonfabulatorのパクリなんだけどね。
Dashboardは、「土地勘」と「文脈」を両立させたUIだ。

このUIは机の引き出しと同じだ。

机の引き出しには、ペンやらカッターやら、よく使う道具を並べて置いている人は多いと思う。
机を引き出すだけで、どこになにがあるのか直感的に解る。

Dashboardが優れているのは、それまでの作業文脈をうっすら暗くしながらも残していることだ。

これが残っていることで、脳は先ほどまでの作業情報がどこにあるのか、あったのかを「知覚的に」記憶し続けることができる。

Dashboardで確認するのは、時間や電卓、といった、普段はいらないけどたまに見たい道具だ。

しかもDashboardはDashboardで独立した座標系を持っている。ここにも別の「土地勘」が働くわけだ。

だから慣れてくると、Dashboardを表示させるボタンを押すと同時に、視線が移動する。

たとえば、アメリカ西海岸の友人に電話をしようとしていて、時間を確認したくなったとき、Dashboardの左上にサンフランシスコの時間を示す時計を置いてあったら、Dashboardボタンを押すと同時に視線が左上に移動する。これは無意識に行われる。

こういうものを「直感的なUI」と言う。

 

そう考えると、実はいまのiOSやAndroidの中途半端なタスクスイッチ(ホームボタンのダブルクリック、ホームボタンの長押し)よりも、普通のホーム画面に戻って他のアプリを起動したほうが素早く直感的に操作できる(起動時に既に起動してある場合は暗黙的なタスクスイッチが発生する)。

だからiOSやAndroidのタスクスイッチは殆ど使われていない。

よりマシなのは、以下のようなやりかただ。

PalmPreのWebOS(日本未発売)

このやり方は 殆ど究極の答えであるとも言える。

これをさらに進めると・・・おっと、これ以上は僕の本業に関わってくるのでまだ言えない。

残念なのはPalm Preが商業的には厳しいことだ。

HPがPalmPreのWebOSを買って全面的にいろんな端末に入れていくらしいので、今後の発展も十分期待できると思う。

しかし今回、記事を書くためにいろんなPalmPreのビデオを探したが、製品がかっこいいのに良いビデオがYoutubeになさすぎる。PalmPreがうまくいかなかった主な理由はそういうところにもあるんじゃないのか。と思ったりもした。

それに比べるとiPhoneはいいプロモーションビデオをApple自身が沢山作っているし、アプリ開発者たちも沢山つくっている。WebOS(Palm Pre)はそのあたりがぜんぜんできてない。

 

ところでiPad2の最新のOSは、四本指ドラッグでタスクスイッチできるようになっている。つまりPalm Pre風のタスクスイッチも内蔵している。
これは苦肉の策だが、少なくともハードウェアキーのダブルクリックよりは幾分マシだけれど、四本指ドラッグって指使い過ぎだろ、という気もする。

ちなみに五本指をすぼめるとホームに戻る機能もついている。

これもまた文脈を分断しない「直感的な」UIのための工夫のひとつだろう。

 

そういう意味で、いまは面白い時代だと言える。

Android用のホームアプリは誰でも作ることができるので、昔のようにWindowsとMacだけがGUIを競い合っていた、という時代ではなくなる。

誰も考えつかないような方法でとてつもなくクールなホームアプリを作ることだってできるようになるわけで、それは非常に面白く、ワクワクするような時代の到来を意味する。

 

ひょっとしたら、君の作ったホームアプリが世界を変えるかもしれない。
そういう意味で、Androidのプログラミングには魅力が沢山あるからぜひ挑戦してみてほしい。

いつもバカっぽい文章が続いていたので今回はちょっと真面目

文・shi3z

 

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